top of page
SPECIAL INTERVIEW
Nobuyoshi Tajima
Nobuyoshi Tajima
SPECIAL INTERVIEW
2022.08.03 wed.
Interview:Rika Watanabe
Photo:Ryo Inoue
流れるように穏やかな所作で供される、
上品な香りと豊かな味わい。
その滋味深さには、思わず顔がほころんでしまうほど。
茶師であり、薬膳師でもある田島庸喜さんは、
お茶と料理のペアリングを提唱しつつ、
次世代に受け継ぐべき日本茶の可能性を探っています。
東洋の自然科学の
なかにこそ、
求める「何か」が
あるような気がした。
茶師になるまでに、何を学び、
どんな道のりを歩いて来られたのでしょう。
中学・高校生時代が、ちょうどバブル景気の頃だったんですね。ふわふわした時代になんとなく馴染めなくて、孤独感というか虚無感というか、そういう感じを持ちました。それで、東洋大学文学部のインド哲学科に進学しよう、と。ネイティブサイエンスの中に、生きる答えがあるような気がしたんです。授業自体は興味深かったものの、もっと、実践的な“学び”を得たいと思い、武蔵野調理師専門学校に転入しました。
卒業後、和食の板前を経験し、さらに北京中医薬大学日本校(現日本中医学院)に入学したのですが、それは薬膳の知識を深めたいと思ったからです。調理の現場では、焼き方とか揚げ方とか技術的な経験は積めるのですが、なかなか体系的には学べない。北京中医薬大学日本校では、薬膳はもちろん、中医学(漢方)から鍼灸や気功まで総合的に勉強できました。心と身体を分けずバランスを重視する「陰陽五行」の考え方は、僕には非常にしっくり来るもので、結果、国際中医師、国際中医薬膳師の資格を取ることに。その後、中国・台湾茶に出会うことにもつながったように感じます。
「茶縁」とは
お茶が結んでくれる 縁のこと。
それは偶然ではなく 必然だと思う。
薬膳師から茶師へ。
そのきっかけ、経緯はどのようなものでしたか。
日常茶飯事」という言葉でもわかるように、“食”に寄り添うものとして、あたりまえにお茶はあります。薬膳を追求しているうちに、ごく自然に中国・台湾茶の世界に入っていき、2009年には専門店「茶通」をオープンすることになりました。中国・台湾茶は、工夫茶芸といって独特の作法がありますが、僕の店では、形式にはあまりこだわらずに、いろいろな種類のお茶をおしゃべりしながらゆっくりいただく、というスタイルで試飲していただいていました。そんなふうにお茶を通じて人と向き合っていると、現代人が忘れがちな“心の豊かさ”みたいなものを感じられるようになり、僕の進む道はこれだな、と思ったんです。
SUTギャラリーでお話いただく田島氏
「茶通」をオープンしてからまもなく、日本料理のシェフと知り合ったことから、ティーペアリングの仕事もスタートします。専門店でお茶を提供するだけじゃなく、レストランで料理とペアリングさせるのも面白そうだな、と。特に烏龍茶はさまざまな種類があるので、ワインのマリアージュのように料理に合わせて相性のいいものを選ぶことができるんですよね。それからだんだん烏龍茶以外のお茶にも範囲を広げていきました。
茶器はお茶の種類、テーマ等によって変える
お茶によって結ばれた縁、という意味で、僕は“茶縁”という言葉をよく使います。このシェフとの関わりもそうですが、お茶を通じて出会うべくして人と出会う。実は、僕の親友がこの“茶縁”で結婚したんです。お茶を通じて知り合った二人が結ばれるなんて、なんだか、ほっこりしませんか。恋愛や友人関係、ご近所づきあい的な縁や、仕事につながる縁。僕にはすべてが必然のように感じられます。
日々の暮らしに
馴染む「茶と食」。 その新しいスタイルを 模索していきたい。
お店をクローズしてからの取り組みと、
これからの展望をお聞かせください。
「茶通」は、丸9年続けました。クローズしたときは、何か確固たるものがあったわけではなく、店舗の契約が3年更新だったこともあって(笑)、次に進んでもいい頃かも、と漠然と感じたというか…。予定なんて全然ありませんでしたよ。でも、本当に不思議なもので、クローズのわずか2週間後に出会った人たちと「The Tea Company」を立ち上げることになったんです。これぞ、まさに“茶縁”ですよね。
「The Tea Company」は、ひとことで言えば、国産の無農薬栽培にこだわった茶葉を選び、それを高品質のボトルドティーに仕上げて提供する会社です。とはいえ、ひとことで言えるようになるまで3年ほどの年月がかかったのですが…。
茶葉に鼻を近づけて仕上がりを確認
まず、おいしいボトルドティーをつくるためは、品質の高い茶葉を見つけなければなりません。自分たちの足で生産農家を訪ね、自分たちの目で茶 葉を選び、それから、茶葉ごとに最適な抽出条件を検討し、試作を重ねて、やっと1本のボトルドティーが生まれるのです。せっかく日本人に生まれたのだから、お茶という日本文化を伝えていかなければ! 使命感ともいうべき、
そんな気持ちが強くあったように思います。僕自身の役割は、茶師・薬膳師として商品開発をするほか、レストランへのお茶のコンサルティングや、料理とのペアリングの提案などを行なっています。加えて、日本各地の生産農家を巡って、畑で作業することもあるんですよ。また「The Tea Company」は、日本初の発酵茶づくりにも取り組みはじめました。日本の緑茶は、ご存知の通り発酵茶ではありません。本場台湾で発酵茶の修行をしたスタッフが、発酵茶に合う日本品種を選定し、栽培管理から製茶・仕上げまで手がけています。
熱した釜に茶葉を入れて発酵を止める作業
そして、この発酵茶づくりに伴って力を注いでいるのが、耕作放棄茶園の再生です。日常的に緑茶を飲む習慣が減ったことや、生産者の高齢化が進んだことなどの理由により耕作が放棄され、現在、多くの茶畑が失われつつあります。しかも、耕作放棄された茶畑は、イノシシやシカなど野生動物の棲家となり、農作物を荒らす獣害を発生させてしまいます 。けれども一方で、耕作放棄されることで、土壌から化学肥料や農薬が抜けていくという利点もあります。緑茶とは違って、発酵茶は窒素肥料を控えたほうがその特性を引き出しやすいことから、耕作放棄茶園を再利用し、発酵茶専用の茶園へと再生するプロジェクトをスタートさせることになったのです。このことで、若い人たちが農業に戻ってくる可能性もありますし、次世代につながる有意義な取り組みだと考えています。
一人ひとりの身体に
マッチする
薬膳とお茶を
掘り下げていく。
茶師・薬膳師として、今後のことをお聞かせください。
僕個人のこれからの活動の目標は、一人ひとりの身体にマッチする薬膳とお茶を掘り下げていくことですかね。今は、ものごとの根本を見つめ直す時代。だからこそ、予防医学としての薬膳や漢方をきちんと知りたい、という人が増えています。そういう声に応えて、東洋の自然医学を毎日の暮らしにとりいれる方法を発信していけたらな、と思います。日々食べたり飲んだりしているものが身体をつくるわけですから。あと、今まで24回に渡って開催してきた「夜の茶会」を継続していきたいです。楽しみにしていてくださるリピーターの方もいらっしゃるし。夜といえばお酒、と考える人も多いかもしれませんが、夜とお茶は意外と波長が合う。仕事のあと、リラックスしてお茶をいただくのは、疲れた心身をゆるめて中庸に戻すってことなんです。きっと気持ちよく明日を迎えることができると思うので、時間が合えば、皆さんにぜひ参加していただきたいですね。
「夜の茶会」会場のSUTギャラリー。夜の街にぽっと灯ります。
田島 庸喜
茶師・薬膳師
1976年 誕生 新宿区 高田馬場
1995年 東洋大学インド哲学科
東洋の文化に興味をもつが
実店舗修行のため中退
1996年 武蔵野調理師学校に転入
和食を学ぶ
調理師免許取得
卒業
1997年 実働か学ぶか迷いがあったが
1年半現場体験 和食店の厨房で働く
1999年 北京中医学大学 日本校 4年制
大学に通いながら薬膳学院に就職し
平日は国際薬膳士として働きながら
夜は飲食店でアルバイトし、
土日に大学で学ぶ生活
国際中医師(漢方医)の資格取得
漢方医(薬学)、方剤学、気功、
薬膳、東洋の栄養学
2002年 大学卒業
2003年 NPO法人を知人と立ち上げる
そこで日本人向けの薬膳の講師(2~3年)
2007年 広尾に中国・台湾茶専門店 茶通をオープン
茶葉小売業
茶を振る舞う 異常なまでの試飲
9年間(3年更新の場所で区切りがよかった)
そこで出会って結婚した方もいる
まさに「茶縁」
2012年 ティーペアリングのイベントをスタート
2012年 SUTの前身(東京矢印/トコドコジルシ)と出会う
2015年 現The Tea Companyの代表と出会う
日本烏龍プロジェクト・新しい日本茶始動
2017年 The Tea Companyを立ち上げる
2018年 SUTにて「夜の茶会」スタート
bottom of page